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<日本尺八演奏家ネットワーク(JSPN)第2回定期公演>
Japan Shakuhachi Professional-players Network 2nd Regular Concert

楽音+噪音≒尺八音

―尺八の音は「楽音」と「噪音」をどう行き来しているのか―

Musical-tone and Noise-tone included in Shakuhachi-tone


2021年5月13日(金) 豊洲シビックセンターホール【無観客公演】

料金 : 前売5,000円[学生・会員4,000円]/当日6,000円

出演 [尺八]:日本尺八演奏家ネットワーク(JSPN)会員

​作曲:愛澤伯友(特別会員)/関一郎(指揮・正会員)

​解説:志村哲(尺八研究家/大阪芸術大学教授/特別会員)

※古典曲および楽音・噪音と尺八について

デザイン:酒井利政/田辺洌山

主催:日本尺八演奏家ネットワーク[JSPN]

助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京

後援:公益財団法人日本伝統文化振興財団/有限会社邦楽ジャーナル

企画制作:田辺洌山(和傳社office)

 音楽を学ぶための入門書的な「楽典」の著書の冒頭には、必ず音の種類として「純音・楽音・噪音」の記述が有ります。純音=倍音を含まない単振動の音(時報や音叉の音)/楽音=純音ではないが規則的な振動を持つ音(多くの楽器音)/噪音=不規則な振動による音(打楽器などの打撃による音・聞きたくない音:騒音とは異なる)概ねこのような記述があり、西洋楽器の多くは規則的な倍音の構成により、個々の特徴的な音色となるとのことも記されています。
 一方和楽器では三味線の「サワリ」や能管の「ヒシギ」・尺八の「ムラ息」などの、規則的な倍音を有さない非楽音(噪音)とされる音色や奏法を大切に育んできました。
 尺八においては楽器そのものにそれほど改良を加えず単純な構造のまま微細な音色の変化を尊重し、「ムラ息」や「玉音」「コロコロ・カラカラ」等などの非楽音(噪音)とされる音を大切にし育んできたからと考えられます。そのような進化は簡潔さの中に美があり、そこに魂や霊が宿り神や仏に近づくという日本独特の美意識や思想が音に反映されているのではないかと考えられます。そこで日本唯一のプロ尺八演奏家団体として、旋律を受け持つ「楽音」と尺八独特の「噪音」をテーマとして取り上げることにより、尺八音楽の原点である「音色」や「奏法」「表現」に向き合い深めていきたいと考えました。
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<プログラム>


【第Ⅰ部】 

海童道 道曲「山 越」

尺八 小濱明人


越後明暗寺「三 谷」

尺八 神 令


琴古流本曲「鹿の遠音」

尺八 倉橋容堂 石川利光


都山流本曲「春の光」

尺八一部 川村泰山 武田旺山

尺八二部 野村峰山 田辺恵山

​尺八三部 山口連山 柴 香山

【第Ⅱ部】 

尺八三重奏曲「風 動」 杵屋正邦 作曲
尺八Ⅰ 難波竹山

尺八Ⅱ 田嶋謙一

尺八Ⅲ 元永 拓

 「quo ego vado」 愛澤伯友 作曲/新作初演
尺八 石垣征山 岩田卓也  大河内淳矢 大山貴善 小濱明人 川村葵山 小湊昭尚 田辺頌山 田野村聡 松本宏平

「五群の尺八のためのPentatonic Concerto」 関一郎作曲/新作初演
指揮 関一郎

尺八Ⅰ(1.6+1.8/E・D) 大山貴善 善養寺恵介 竹井誠(1.1/A持替え) 田野村聡 

尺八Ⅱ(1.8/D) 岩田卓也 川村葵山 徳丸十盟 米谷和修 

尺八Ⅲ(2.1/H) 坂田梁山 田辺頌山 本間豊堂 松本宏平 

尺八Ⅳ(2.4/A) 大河内淳矢 小濱明人 田嶋謙一 原郷界山 

尺八Ⅴ(2.7/G) 大賀悠司 小林純 元永 拓

(出演者名は五十音順)​

「古典曲および楽音・噪音と尺八について」   
志村哲(ピリオド楽器研究家、地無し尺八吹奏家、大阪芸術大学教授)

2020年、劇変した社会情勢によって、本公演は1年延期されました。2021年の本日、私達がここに集うことができたということは、少なくとも都市における尺八界におきましては、新しい活動様式の扉が開かれたと考え、お喜び申し上げます。
さて、伝統音楽は、各時代の社会情勢に対応して、変化させることで維持できてきたと考えます。また、歴史とは後の人が編んだ物語であると云えるでしょう。そこで、様々な解釈は、各人がそのどの局面に立たれているかで、重視する側面と、それに基づく見解が異なるからであると感じます。よって、多様な文化、様々な歴史観が併存する現代社会において、尺八界を支えるすべての方のお考えにご納得いただける解説はできないと思っております。
本解説は、多種多様なかたちで発展した「尺八楽」において、いま私が向き合っている地無し尺八(および作者)との対話から得られたイメージを、他ジャンルへも膨らませられるかの手掛かりのようなものかもしれません。ですから、以下は「ひとつの見方」であることをお断りしておきます。なお、これまでの知見と諸文献より根拠も探りながら、この大役を務めさせていただきます。

私は、20世紀の後半に、日本音響学会の音環境談話会の幹事を担当したことがあり、サウンドスケープ/騒音公害について、音響学的な議論が為される現場で働きました。まず、当時の見解が記された『新版 音響用語辞典』(日本音響学会編、コロナ社1988, 2003発行)を確認してみましょう。

楽音合成:
電子楽器や音楽の制作に使える要素となる音の信号を電気的な方法で生成すること。(後略)とあり「楽音」
単独の項目はありません。ちなみに、これは、私のもうひとつの専門領域でしたが、特に邦楽器については、いまだにまったく納得がいく合成ができないという状況にあります。
噪音:一般的には、雑音と同義語であるが、三味線の撥音や尺八のムラ息、箏の摺り爪の音など、日本の楽器
  に現れる雑音的な音色に対して肯定的に使用する総称。西洋音楽の基準では音楽に適する音は雑音の
少ない、いわゆる「楽音」であるが、日本を含めアジアには「楽音」とは別の音楽文化があり、西洋の基準
からすれば「騒音」と呼ばれるような音を伝統的に生かしてきた。(全文引用)
騒音:望ましくない音。(中略)いかなる音でも、聞き手にとって不快な音、邪魔な音と受け取られると、その音は
騒音となる。(後略)
雑音:①振幅、位相、周波数などが統計的に不規則に変動する音または振動。(中略)対応英語noiseは、雑音
と騒音の両方の意味に使われるが、日本では、雑音と騒音は一般に区別して使われる。(後略)

よって、音響学的には噪音と騒音は明確に区別されています。また事情によっては「音楽」も騒音に成り得るものであり、一方、噪音は英語にはできないアジア固有の概念であると取れます。そこで、英語で「噪音」について語る際には「noise」と呼ばずに「souon」を広め、やがては英語辞書に載るようになれば幸いです。
本日、お集まりの皆様は、邦楽に慣れ親しんでおられる方が多いと拝察いたしますが、これまで私たちは、邦楽器と伝統音楽は在って当たり前という社会を謳歌してきました。そこで「楽音」も「噪音」も区別なく、邦楽として捉えているのではないでしょうか。たとえば『日本音楽大事典』(平凡社1989)や『邦楽百科事典』(音楽之友社1984)には、単独の項目はありません。つまり、本来、これらはひとつの音なのであって、分けるべきでもなく、かつ対峙するものではなかったと考えられます。
前回、第1回定期公演のテーマ「鶴の巣籠」は「噪音」のオンパレードであることが知られていますが、これは演奏技法的に見れば、尺八音楽の極みであるといえるでしょう。あるいは「噪音の世界に遊ぶ」という捉え方もできるかもしれません。
そこで「噪音」とは、楽器固有の特徴(材質と構造)によって、あらかじめ準備された現象が、演奏者の内発的衝動によって体系化されたものであり、その工夫の過程で、自然界の環境音との近似を直感した結果としての意味づけが、地域毎の自然環境の中で共有され、維持されている当該文化固有の様式であるといえないでしょうか。
私は、日本に暮らしながら、西洋音楽環境出身の尺八家であることを自覚しています。だから、敢えてそこから出来るだけ遠くへ離れていきたいと念じてきました。尺八奏者はなぜ「首を振るのか」尺八音楽にはなぜ「コロ音」や「カラ音」が必要なのかの答えは、ひとつではないわけですが、私の「明暗尺八」習得と実践活動のなかで、絶えず参照してきたのは、日本文化でいわれる「間(ま)」の問題です。それは「楔吹き」や「フリ」のタイミングにおける一音毎に生じるその場限りのリズム感として集約できます。その感覚は、時間を計るのではなく、空間の距離を詰めることであると察します。そのことを、武道の呼吸とも通じるとおっしゃる方もあります。また噪音には、日本の少し前の生活様式であった、和風建築や絹の着物での生活から生じる音にも似た心地よさがあります。
一方、西洋音楽史上の20世紀前半、前衛的な新音楽様式の一端に「騒音音楽」という概念がありましたし、20世紀後半の「ノイズ・ミュージック」も先鋭的な魅力がありました。それより少し後に訪れた現代邦楽ブームにもまた、騒音の刺激的な側面が強調された「ムラ息」が多用される作品が見受けられました。それらは「騒音的である」と捉えられていたと言えるでしょう。現代においても、虚無僧尺八や都山流本曲の伝承者は、共通に「古典にはムラ息はない」と述べておられますので、尺八楽においては「噪音」と「騒音的ムラ息」は異なる音楽様式の奏法であると位置づけられます。
邦楽において、高品位な「噪音」は、動作から生じる小さい音に耳を傾ける感性と、日本古来の自然観によって編み込まれた魅力的な側面であるとすれば、未来の伝統邦楽において、それがたとえ都市のコンサートホールが中心である場合でも「噪音=楽音」となるような工夫に注力することによって、世界中の音楽の中で、邦楽の伝統は高く評価されていくと私は信じます。
「尺八の音について」  
愛澤 伯友(作曲家)
 たとえばピアノでD音をポンと弾くと、それは「レ」でしかない。あると言えばグラフで書いたように綺麗に音が減衰していくだけ。フルートの人は毎日「ロングトーン」の練習が欠かせない。同じ高さの音を音程や強弱が揺れることなく、できるだけ長く吹き続ける。それは限りなく純粋な音に近づける努力。しかし、尺八はそうではない。
 同じ「ロ」の音を吹いても、吹き出しから音が安定するまでに、様々な音が鳴る。ピアノのように「レ」だけが鳴るなんていう単純なものではない。音が安定してからも、息や唇のほんの少しの変化によって音は極彩色に変化する。そして、そのことは奏者によって異なり、また、同じ奏者でも楽器によって、日によって異なる。ただ、残念なことに、そうした音の変化に気がついている奏者は少なく、そのため、それをコントロールできる奏者も少ない。

 奏者によって、楽器によって、その出てくる音は異なるので、記譜することができない。練習で奏者に直接、「その高い方でヒーと鳴っている音わかりますか?」「そこで息を急に細めたらどうなりますか?」「その指使いのまま上の音に移れますか?」「今の感じです。もう一度やってもらえますか?」と永遠と禅問答みたいな時間が続く。それをしても無理な奏者もいる。その多くは西洋音階を吹き慣れている奏者。恐らく彼らはフルートと同様に音を安定させることに注力し過ぎているのだと思う。でも、尺八の本当に美しさはそこにはない。

 ひとつの音を吹き始めた瞬間、まずは、息が唄口にかかるまでの「シュー」という息の音がする。
(1)そして、息は唄口から管の中に入り、物理現象通り開管の振動がはじまり、管楽器本来の音が鳴りはじめる
(2)しかし、ここからが面白い。普通の管楽器であればそこで安定するのに、奏者が恐る恐る吹き込んだ息の量を   通常の量に増やそうとした途端、その開管の原理は破綻して、管自体の空鳴り現象が起こる。
(3)急にガソリンを過激に投入したためにシリンダー内での燃焼を継続できなくなり、エンスト状態になるのと同じ
ように、本来の力が一端途絶える。「ボー」っという原始的でお腹に来る音が鳴り響く。そして、次の瞬間、
音は一気に上方へ跳ね上がり「ショアァーー」と極彩色な倍音がいくつも飛び散る。
(4)そして、その閃光がなかったかのように、本来の音に瞬間で戻る。
(5)この間、約1秒。
 
(4)の高音に吹き散る倍音は、奏者によってまったく異なる。そして、ほとんど発音しない奏者もいる。(3)の空鳴
の時間も奏者によって異なる。この時間が長い奏者ほど、(4)のきら星が美しい。そして、その奏者は(3)の時間もコントロールができる。(でも、多分本人はそのことを意識していないけど)仕方ないので、その音のチューニングには禅問答のようなもので調整をし続ける。楽譜や記号のようなもの、尺八の吹き方など、こちらが伝える手段がないので、「もう少しこうした」「ああしたら」と微妙なチューニングが続く。僕はその中で、奏者の出せる「最大公倍数」の妥協点を探す。

 あるアメリカの尺八奏者は「私はNewYorkerなので人から批判されるのに慣れている。だから何でも言ってください」と言われ1時間弱ひとつの音について二人で努力したことがある。また、尺八のオリジナル曲を初めて依頼されたときの奏者は、高次の倍音をチューナーで計り、意図しない音を消す努力をし、後には聴こえるようになったという。(彼はその訓練のために十二指腸潰瘍になったと主張していたが・・・)
最近の若手は凄い!その数週間の努力や、数時間の禅問答を全く必要としない人種が登場してきている。
「これなんかどうですかぁ?」「こんなこともできますよぉ~」この数十年の尺八奏者の進歩は凄まじいと感じた。
本番前の限られた時間内で僕は「ふわぁーー」と圧倒されるばかりで、「じゃあ、2番目のやつで」とお願いするのが精一杯で、その吹き替えられる違いが何であるのか突き止められていない。そして、その例示された標本は、音がしっかりと立ち上がったときのパターンであるので、時間と共に微細に変化する音についてはディスカッションしたことがない。

 こうした色彩豊かな音は古典を学び訓練された奏者に多い。古典の楽曲にはそれだけでさまざまな音が隠されている。これを言葉か記号で表現ができれば良いのに・・・と、古典曲を聴きながらいつも夢見ている。私は尺八曲を書く作業はいつも古典曲を耳に入れ、尺八のその上方での美しいたなびきを頭の中に呼び起こす作業からはじまる。その音は、奏者が気づいていないので、だから作為的な感じのする音ではなく、管が音と音の間に自然に作り出す音がそこに存在している。

 これまで書いてきたのは、あくまで「吹きはじめ」の現象だけ。
このほかにも「吹いている中で息の量が変わったとき」「長く伸ばしているとき」「息が苦しくなったとき」「低音を吹いているとき」「高音を吹いているとき」「メリ音の音程を無理に合わせようとしたとき」「強く吹いて弱くしたとき」「弱く吹いて強くしたとき」「二音をなめらかにつないだとき」「二音を乱雑につないだとき」「音程が大きく変わったとき」「音程を保つためにフォークフィンガリングをしたとき」などなど、永遠とそうした現象が起きる時点を示せるけど、そこにそれぞれ数十のパターンが存在して・・・なんとか書き止めたいけど、やはり、奏者による違いが多過ぎ、未だに的確な指示できないでいる。
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